会社設立・起業について

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私は行政書士の登録をしてから3年近くが立ちます。

そして、平成18年の新会社法の施行以来いろいろな会社設立にかかわってきました。

そこで、成功する人はどのように会社設立もしくは事業を立ち上げてるのか興味を抱くようになりました。

中でも、成功しているといわれている起業家や実業家に成功のヒントがあるのではないかと思ました。

たとえば、

(ソニー創業者)

1908年4月11日栃木県日光市に生まれる。早稲田大学理工学部卒。学生時代の「走るネオン」という製品がパリ万国博覧会で金賞を獲得。戦時中の熱線誘導兵器開発中に盛田昭夫と知り合う。1946年5月7日(先勝) 資本金19万円で、義父の前田多門(終戦直後に文相)が社長、井深が専務(技術担当)、盛田昭夫が常務(営業担当)、社員20数人の東京通信 工業(後のソニー)を創業。以来、新しい独自技術の開発にチャレンジし、一般消費者の生活を豊かに便利にする新商品の提供を経営方針に活動を展開。そして、多 くの日本初、世界初という革新的な商品をつくりだし、戦後日本経済の奇跡的な復興、急成長を象徴する世界的な大企業に成長していく。

(本田技研工業株式会社創業者)

1906年11月17日静岡県磐田郡光明村で鍛冶屋をしていた本田儀平の長男として生まれる。 1928年アート商会に6年勤務後、のれん分けの形で浜松市に支店を設立して独立。 1937年自動車修理工場事業を順調に拡大、「東海精機重工業株式会社」(現・東海精機株式会社)の社長に就任。「アートピストンリング研究所」を浜松市山下町に設 立しピストンリング開発に取り組む。しかし学問的な壁に突き当たり、同年、浜松高等工業機械科(現・静岡大学工学部)の聴講生となり、3年間金属学の研究に費や す。 1944年手作業で1本1週間かかっていた航空機のプロペラの切削自動化、30分で2本仕上げる切削機を開発し、軍需省より表彰される。この時点で40件を超える特許 を取得。 1946年10月、浜松市に本田技術研究所設立。39歳の宗一郎は所長に就任。 1948年9月24日(赤口) 本田技研工業株式会社を浜松に設立。宗一郎、同社代表取締役就任。資本金100万、従業員20人でスタート。二輪車の研究をはじめる。

(トヨタ自動車の基礎を築く)

1867年3月19日貧しい農家に生まれる。 父・伊吉は大工であり佐吉も後を継ぎ大工になったが、母が朝から晩まで機織りの重労働に苦労している姿を見て、「少しでも母を楽にさせたい」「国の為に何が出来 るか」を模索するようになり、発明家への道をこころざすようになる。 1890年に東京での内国勧業博覧会にて外国製織機を見て、独力で「豊田式木製人力織機」を発明。この「木製人力織機」はコストの安い木を多用して当時まだまだ高 価だった金属類は必要最小限に抑えた為、当時主流だった外国産の機械より一桁安い価格で瞬く間にシェアを広げた(この無駄を抑える発想は後の『トヨタ生産方式 』の原点となる)。 その後、息子の豊田 喜一郎が佐吉から自動織機のパテントをスイスの会社へ売り渡した代金100万円(昭和初期当時)を「出資」の形で貰い受け、「豊田自動織機自 動車部」を立ち上げて本格的に自動車の製造へと踏み出していった。 トヨタ自動車は 1937年8月28日(大安) 設立

(ジャニーズ事務所社長)

本名: 喜多川 擴(きたがわ ひろむ)1931年10月23日生まれ。 日本の実業家・芸能プロモーターで、ジャニーズ事務所の社長である。 1960年代初頭、ジャニー喜多川は自分の住んでいた東京の在日米軍施設「ワシントンハイツ」(現・代々木公園)にて、近所の少年たち約30名を集めた少年野球チー ムのコーチをしていた。そのチーム名は、喜多川擴のアメリカ国籍での名前「ジャニー」からとって「ジャニーズ少年野球団」と名付けられた。このチームのメンバーに は、浜田光夫、小畑やすし、設楽幸嗣らも居り、応援団には松島トモ子までもが居た。しかもプロ球団や力道山などに支援されていて、練習場も後に池袋の立教大学 のグラウンドへと移行した。ある日、このチームのメンバーの中から代々木中学校に通う4名を選び、映画館に連れて行く。そして、そこで観た『ウェストサイドストーリー 』に一同感動し、エンターテインメント事業を興そうと決意する。そしてこの4名の少年で、最初のグループであるジャニーズを1962年4月に結成。最初は池袋西口にある芸能プロダクション「新芸能学院(現:名和プロダクション)」に籍を置いていたが、1962年6月にジャニーズ事務所を創業。1975年1月30日(赤口)になって正式に株式会社として法人登記される。

孫 正義(ソフトバンクグループの創業者)

1957年 佐賀県鳥栖市に在日韓国人の家庭に生まれる。4人兄弟の次男。自分で考案した「音声機能付き他言語翻訳機」を当時シャープ専務の佐々木正に約1億円で売り込み、その資金を元に米国で事業を起こし、1981年9月3日(先勝)には「日本ソフトバンク」を設立。電話の際に自動的に安い回線を選ぶ「NCC BOX」(いわゆるLCR)をフォーバルの大久保秀夫とともに開発した(その関係で、日本におけるLCRの基本特許は孫が保有している)。大久保秀夫との交流は以後も続き、BBフォン、おとくラインの販売など、ソフトバンクグループの法人向けの営業では常にフォーバルと協力体制を取ってきた。1994年7月にソフトバンク株式会社の株式を店頭公開した。「日本ソフトバンク」名義の会社を設立したのは1981年であるが、孫自身は事あるごとに「私は、福岡の 雑餉隈(ざっしょのくま) で、アルバイト社員二人とソフトバンクを始めました」と話している。雑餉隈の雑居ビルに存在した会社は、ソフトバンクの前身である「ユニソン・ワールド」という会社であるが、孫自身はこの「ユニソン・ワールド」がソフトバンクの起業だと考えていることがこの言葉から分かる。孫は同社員の前で、立ち上げた会社を「10年で年商500億の会社にする」と豪語したが、これを聞いた二人は孫の可能性を信じることが出来ず非現実的な法螺話と受け取り、彼の力量を見限って辞めてしまったという話がある。

笠原 健治(ミクシィの社長)

1975年12月6日生まれ。大阪府箕面市出身のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「mixi」を運営するミクシィの社長である。株式会社イー・マーキュリーを2000年(平成12年)10月25日(赤口)に設立。2006年2月1日に商号を株式会社イー・マーキュリーから株式会社ミクシィに変更する。言わずと知れたmixiの社長です。この若さでここまで成功するのはすごいです。

このような先人たちに共通するものは何でしょう?

もちろん全員チャレンジ精神が旺盛だったことはいうまでもありません。

ここで先人たちが会社を設立(もしくは創業)した日にちをみてください。

全員仏滅以外の日にちなのです。 中には赤口もありますが、赤口も一日中悪いというわけではありません。

赤口でも正午以外の行いがよくないだけで、正午の行いは悪いとはされていません。

むしろ成功している人の会社設立日は赤口の日が多いので、実は会社設立には向いているのかもしれません。確かに、企業というのは平日の昼間に動いているわけですし、正午がその日の要になっているのかもしれません。赤口は実は隠れた会社設立にとって縁起のいい日取りなのかもしれません。大安以外でも赤口の日に会社設立するというのも新しい成功パターンになるかもしれません。

こうやって見ると先輩起業家は偶然かもしれませんが、決して悪い日に会社を起こしているわけではありません。

大事な会社設立の第一歩は縁起のいい日にしたいものですね。

できれば、大安吉日に会社設立するのがいいでしょう。

しかし、大安以外でも先勝なら午前中、先負なら午後からは吉なので大丈夫です。

ただ、仏滅・友引は一日中よくないのでこの日は避けましょう。

会社の成立日は書類で定めた日または法務局に提出した日になるので、できれば専門家に設立の日を指定するようにしてみてください。

        

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